慌ただしい師走とクリスマスを間じかに沸き返る東京を後にして仕事でカンボジアを訪れていました。
カンボジアと言えば私には映画「キリングフィールド」を思い出します。戦争映画の大嫌いな私が唯一お勧めの作品です。余りに目を被いたくなる同じ民族同士の大量虐殺のこの戦いは同じアジア人として何だか他人事に見えずにリアリティーを持って迫って来ました。戦争を本当に考えさせられる映画でした。
正直、そんなイメージのカンボジアに出かけるのを少し尻込みしていました。未だに聞く地雷の事故も気掛かりでした。
その私が今まで行ったどこの国よりもカンボジアを好きになりました。
戦争の傷跡がまだまだ生々しく人々の心の中に住み付き貧困が露に目に見える国でしたがそこで出会う人々の笑顔がとても素敵でした。礼儀正しく澄んだ目をして人なつこく何だか自分達民族ととても近く感じました。
きっと日本の終戦もこんなふうに貧困と戦いながらも卑屈にならないで希望に目を輝かせていたんだと想像して懐かしい気持ちになりました。
アンコールワットの偉大な遺跡の中で出会った物売りの少年は正しい英語と日本語を使っていました。多分訪れる観光客と話す中で徐々に覚えたのでしょう。単なる物売りではなく彼は自分の仕事に誇りを持っているのがこちらに伝わります。小さな身体はしっかりと胸を張っていました。逆にちゃんと教育を受けた自分が英語を話せない事に落ち込みました。
水道も無く自家発電の限られた電気だけで暮らす貧しい水上生活をする村で出会った少年は受け答えをするときに真直ぐに背筋をのばし優しい笑顔を見せてくれます。彼は小学校に通っていますが「来年には父親の仕事を継いで漁師になる」と真直ぐな目で話していました。でも学校で見せる彼の笑顔はずっと明るいのですが。
そこで出会った老人はけして好きで水上生活をしているのではなくポルポト政権下で土地を失いこの生活をしていると話します。でも決して、へつらう事なく言い表情をしています。
同行したコーディネーターは親の無い子を引き取って自活できるように仕事を与えています。彼自身も過酷な強制労働を体験していますが本当に温和な仏陀のような顔で笑います。
通訳の人は豊かな家庭に生まれ戦時中をずっと日本で暮らす事が出来たので一人も家族を失わずに済みましたが中途半端に二つの国に股がって暮らしていたのでカンボジア人でありながら疎外感を抱いて生きながらもカンボジアの未来を真剣に憂いています。
誰もが個人の事以上に国の未来を見ているように感じて旅の途中何度か目が潤みました。私達が忘れている事を思い出させてくれる旅でした。

ひびのこづえ

ワンピースには合皮素材を植物の形に切り抜いたエプロンが付いています。

2004年4月NO.119号掲載